日本キリスト教団 士別教会と つくも保育園の歩み

 

第5回

 

園長 伊藤善彦

 

 地域のお母さん達からの熱望に応えて、細海牧師が教会役員を説得して、開設した「つくも保育園」であったが、僅か2年間で果敢無くも閉園を余儀無くされたわけである。

 細海牧師は、牧師本来の伝道活動に専念して、士別伝道所(後の教会)における教会学校、高校生会、婦人会、礼拝説教、兼務の和寒伝道所通いに没頭し、折角和寒から士別伝道所牧師館の一室に転居して、保育事業に専念した佐藤章子さんは、悄然と実家に撤退した。

 1970(昭和45)年4月、士別市あけぼの保育所に次いで、公設保育所第2号が北部地域住民の要望を担って「北星保育所」が開設された。喜々として児童が集まる情景を目の当たりにして、細海牧師や八鍬夫人は心中ただならぬ思いであったと推測に難くない思いがした。皮肉といえば皮肉な現象であるが、住民福祉の見地に立てば、むしろ喜びと感謝を捧げるべきと私は受け止めた。にもかかわらず、事はすんなりと収まらなかったのである。開設された保育所は、公設であるから、法に基づき保育に欠ける児童を入所の原則とする。即ち欠損家族(両親のどちらかが欠ける)の児童、生活上どうしても両親が働きに出なければならぬため、等の理由がなければならず、両親の収入に応じて保育料がランク付けされている。等々のことがあって入所に洩れた児童がかなりの数に昇った。

 その頃、私が士別市議会で、士別市長木村伊三郎氏に、行政の民主化のため、横浜市長飛鳥田一雄氏の市民が直接市長に手紙を出す運動を行っているのに習って、士別にも取り入れるよう一般質問で要望し、それが士別でも展開されていた。北星保育所に入所出来なかったお母さん達から、つくも保育園の再開を訴える手紙運動が市長のもとへ集まった。早速、市から士別伝道所につくも保育園の再開が求められたのである。

 以上の経緯から、北星保育所開設の1970年の1年後、再びつくも保育園は開園することになったのである。再開に当って、木村市長夫人から、つくも保育園に、家具屋さんに誂えて作成した屋内用の滑り台一式が寄贈された。

 北星公園前、向って右側に新設された公設の北星保育所、左側には屋根に高々と十字架の立つ、間口3間、奥行11間のまるで汽車のような細長い教会堂、その中の奥行4間の礼拝堂が保育室である。どう贔屓目に見てもつくも保育園の施設の劣悪さは覆うべくもない。にもかかわらず、細海牧師の人柄を慕う母子に取り囲まれて、年毎に園児が増え、やがて牧師館の壁を打ち抜いて、保育室を広げると共に、細海牧師は会堂の2階住いとなるのである。

      …………………… 以下次回

 

つくも保育園「園だより」2004年10月号より

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