日本キリスト教団 士別教会と つくも保育園の歩み

 

第2回

 

園長 伊藤善彦

 

 1963(昭和38)年春、市嶋和夫牧師・岡田晃兄と私の三人が、鈴木建設着工の教会堂建築工事に当って、砂利運びの奉仕に当っていると、近くの土建業久光組の社長(士別市議会議長)が寄って来て「伊藤君、何を建てているのかね」と問われた。「キリスト教会堂です」と答えると「保育所をやってくれないか」と言われた。

 当時士別市には、街の南側に「あけぼの保育所」が唯一公設保育所として設置され、北側住民から強く保育所の実現が望まれていたのだ。しかし私は「これは僅かな信者が、礼拝を守るための会堂と牧師館なので、到底保育事業を行うスペースに余裕がありません」と理解を求めた。久光氏は「そうか」と残念そうであった。

 この年10月に(先の稿で1月は誤り)教会堂が完成し、市嶋牧師ご夫妻が入居した。牧師は、直ちに教会学校を始めたい、と希望された。私は、建具屋に拍子木を作って貰い、牧師の首に下げ、町角毎に子供達を集めて、私が自転車の荷台に紙芝居の舞台を据え『フランダースの犬』を見せ、キャラメルと教会学校開始の案内パンフレットを配った。

 かくして、日本キリスト教団士別教会の前身である「士別伝道所」は、日曜毎に、大人の礼拝前に、教会学校が開かれたのである。

 だが、先号で記述した通り、市嶋寧子夫人の視力障害により転任され、後任として細海光子牧師が着任した。士別伝道所の建設された時は周辺に一軒の家も無かった。元々農地であったところを、市の開発公社が買収して宅地転用、区画整理をして売り出した土地を、私が2区画取得して、自宅を建てるつもりであったが、私の父菊治が「たとえ掘っ建小屋でもいいから、自分達の教会堂が欲しい」との言に従って建てた会堂であり、その時は回りに建物が無かったのである。だが、細海牧師が着任した頃には、隣接して早川さんの家が新築された。御主人は同志社大学出身で士別中学校教師、同夫人は士別商業高校教師、ご両親と小学校前の娘さんの5人家族であった。細海牧師と早川のお婆さんは、すぐ仲良しになり、日曜の礼拝に出席され、やがて洗礼を受けて信者となられた。早川絹子さんである。

 細海牧師は、地域の御婦人と親しく交わるうちに、保育所の開設を求める声が高まり、1968(昭和43)年4月、伝道所の定期総会で細海牧師から「決して伝道の妨げにならぬよう配慮をするから、保育所をやらせて欲しい」と提案された。役員の中で、特に八鍬孝子姉(清明氏夫人・・・今は故人)が理解と賛意を示され、この年6月1日付で『つくも保育園』は11月末までの、季節保育所として発足した。園の命名は、八鍬夫人によるものである。

      …………………… 以下次回

 

つくも保育園「園だより」2004年7月号より

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